今日は「本州最南端」をグルリと回り込みます!
さて、「本州最南端は何県にあるでしょう?」という質問があった時、すんなりと答えられる人は意外に少ないかもしれません。山口県ではありませんよ!地図を見ると、簡単にわかるんですけどね。
さて、本州最南端・潮岬の訪問は6年ぶり。前回の時は穏やかな天気でとても気持ちの良い場所だった記憶があります。今回はどうかな?
出発!
「道の駅・たいじ」で迎えた朝です。
第二駐車場を使ったので、夜間に車の出入りはほとんどなく静かに過ごすことが出来ました。大型車スペースはこの第二駐車場のみになりますが、住宅街にあるためトラックは出入りを控えているのかもしれません。
さて、朝ご飯を終えて出発!
この先もずっと海岸線に沿った気持ちの良い道が続きます。
橋杭岩
「道の駅・くしもと橋杭岩」に到着。
ここで、少しお散歩休憩。
目の前に「橋杭岩」が広がっています。
海岸線に沿って大小40余りの岩柱がそそり立っているその風景は、海の浸食により岩の硬い部分だけが残ったことで作り出されたのだとか。そして、あたかも橋の杭だけが立っているような光景から「橋杭岩」という名が付いたそうです。
が、「その昔、弘法大師と天邪鬼が一晩で橋を架ける賭をして、一夜にして立てた」という伝説も伝わっているそうな。
一晩でこの風景を作り出したんですかぁ〜。
弘法大師と天邪鬼、随分と頑張りましたねぇ〜。
ちょうど潮の引いている時間だったので、子ども達は楽しそう。あっちの岩へこっちの岩へと登って遊んでいました。
長男はこのまま水遊びをしたがって駄々をこね始めてしまいましたが、今日は予定が詰まっているんだよなぁ…すまんね。
そして、再び車を走らせました。
潮岬 〜 本州最南端の地 〜
白蝶貝採取の物語
潮岬に到着です。
6年ぶりの訪問だけど、やっぱり気持ちのいいところです。天気がいいので尚更なんだと思います。お日様ぽかぽか。そして、風はほとんどありません。
後で知ったのですが、無料駐車場の隣には24h使えるトイレもありP泊地としても人気があるようです。
風が強ったら辛そうですけどね…。
駐車場から道路を挟んで向かい側にキャンプ場があります。
この時期は営業していませんでした。
水道の蛇口を捻ってみたけれど、やっぱり水は出ない…。
キャンプ場用の駐車場は開放されていたので、車中泊はしていいのかな?
しかしながら…アクセス路が狭いので、トレーラーで入るには勇気が必要そうです。
そして、キャンプ場に隣接して潮岬周辺にはこんなに気持ちのいい草原が広がっています。
1月下旬に行われる野焼は名物になっているとか。
こちらが潮岬。
そう、ここが本州の最南端。
日本地図を見てみれば一目瞭然。本州の最南端は和歌山県です!
最南端の碑の隣にある「潮風の休憩所」。中は資料館になっています。
ここは前回も見学した記憶があります。かなり、衝撃的な資料が並んでいるんです。
展示されているのは、オーストラリアにある「木曜島」で行われていた白蝶貝採取に関する資料。明治時代の話です。
小さすぎて写真ではわかりませんが、海底を人が歩いています。その水深は30メートルくらいあるのでしょうか。そして、海底を歩いている人は船から伸びているホースと通って送られてくる空気を吸って海底を歩き、貝の採取をしています。
ダイビングの経験がある方なら、それがどれほど凄いことなのか、どれほど危険と隣合わせなことなのか想像できると思います。
海底で活動されている方が身につけている装備はこれ。
例え地上でもこれを被るのは勇気が要りそう…。閉所恐怖症の人だったら絶対に無理ですよね…。
さて、このようなものを被って海底を歩き貝を採取するのですが、なぜそこまでして貝を採取するのかというと…
この光沢を持った白蝶貝は、高級ボタンを作るために高価な値段で取引がされていたのだとか。
この貝を採取していた場所はオーストラリア大陸の北端にヨーク岬と、インドネシア・パプアニューギニアがあるニューギニア島の間に浮かぶ「木曜島」の周辺。
そして、なぜここ和歌山県の潮岬にその資料館があるのかというと、潮岬から真南に5000km進んだところにその木曜島があるということと、白蝶貝の採取に従事した7000人の内8割の方が和歌山県出身者だったことからだそうです。
そこで疑問に思うことは、「なぜオーストラリアまで行って貝を摂る仕事をしなければならなかったのか」ということです。100年以上も前の話ですから、日本からオーストラリアへ行くだけでも命懸けだったハズ。「生きて帰って来ることは出来ないかもしれない」それくらいの覚悟を決めて船を出したんだと思います。
このことについても説明が書かれていました。
この頃は、長く続いた江戸時代が終わり、明治時代が幕開けした時です。文明開化により人々の生活様式は一気に「洋式」へと変化をしていきました。その中で必要になったのが現金です。江戸時代は米で年貢を納めていましたが、明治になると現金で税金を納めなければいけなくなりました。よって、庶民は現金を手に入れられる仕事を模索し始め、中には海を渡る人も出てきたのだとか。
私が北南アメリカ大陸を自転車で旅していた時、中南米では首都に入ると多くの国には「日本人宿」があり、私もお世話になりました。「日本人宿」の多くは、日系2世、3世の方が経営されていました。明治時代に南米へ移民された方々の子孫にあたる方です。
明治の頃に南米へ移民された方々はコーヒー農場で働いていたが多かったという話ですが、それと同じ時代に同じ理由でオーストラリアを目指した人もいた、という訳ですね。
いやぁ、すごい話だな。と思います。今の自分がどれだけ恵まれた時代に生きているのか、ということを考えさせられます。
さて、再び岬周辺をお散歩してみました。
ん?海に降りていく道があるぞ。釣り道具を担いだ方が降りていかれたので、ついて行ってみました。
なかなか険しい道です。
観光用に整備された道という雰囲気ではないので、釣りの方々が使っている隠れ道(!?)なのかもしれません。
海まで降りられました!
いやぁ〜、絶景です!すごい迫力。海が透明すぎる!思わず吸い込まれそう!それにしても、穏やかな天気なので降りて来られましたが、風が強い日なんかは絶対に降りてきてはいけませんね…危ないです。
ボルダリングをやっている娘達はこの岩場を満喫していました。(笑)
駐車場に戻りました。パパは隣のお店へお買い物。
お目当ては、
これです!本州最南端のステッカー。これをトレーラーの背中に貼りたくてね。
しかし!
マジですか!?
隣のお店の方に聞いてみたら、「今日だけお休みするみたいなんですよね〜」とのこと。
マジですか!? よりによって、今日だけ!? なんてタイミングの悪さでしょう。パパ、凹みました。
潮岬灯台
気を取り直してお散歩に行くことにしました。
あの灯台まで歩いてみようと思います。
こうやって見ると距離がありそうですが、潮岬駐車場から歩いても15分程度です。暑かったり寒かったりしたらしんどいかもしれませんが、今日は最高のお散歩日和。ちょうどいい距離です。
青空の下に立つ白い灯台。
映えますねぇ〜!
こちらの灯台は明治6年に建設されたとのこと。ここにも文明開化時代の話が出てきます。
なんだか、今回の旅は学ぶことが多いなぁ。
まずは資料館の見学。
間近で見ると本当に大きい。
さて、登ってみますか!
グルグルと階段を登ります。
夏の旅行で訪れた尻屋崎灯台もこんな感じでした。
最後は本当に急な階段(梯子?)。
これ、下りが怖いんですよねぇ…。
うわぉ!
期待通りの絶景。
本州最南端の潮岬はあちら。
そして反対側は…なんと、四国です。海に突き出ているのは高知県の室戸岬。こんなに近いんだぁ〜!
そして、こんなに近くにある室戸岬は潮岬より緯度が南なので、「潮岬が本州最南端」って言われても、なかなかピンと来ないんですよね。
まだ行ったことないんですよねぇ〜、室戸岬。いつ行けるかな?
天気のいい日の灯台は本当に気持ちいいですね!
楽しい時間になりました。
長女はお小遣いで灯台のストラップを買っていました。
大事にしてねぇ〜。
さて、この後はさらに道を奥へ。
神社の脇を通り抜け、
さらに奥へと続く遊歩道へ。
両端が高い崖で、下を覗き込むと真っ青な海がに白い波が打ち付けています。かなりの迫力。
到着!
ここはその名も「潮岬の鯨山見」。回遊してくる鯨を見つけるための場所だったそうな。
かなり頑張って目を凝らしたけれど、クジラは見つけられませんでした…。まぁ、そう簡単に見られるもんじゃないし、何より季節が違うかな?
調べて見ると、紀伊半島では、4~6月頃はザトウクジラやマッコウクジラ、秋にかけてはオキゴンドウやコマッコウなどが見られるそうです。
トレーラーに戻りました。
お昼ご飯は焼きソバ。いただきまぁ〜す!
そんなこんなで半日もかけてゆっくりと楽しんだ本州最南端・潮岬でした!
さて、今日は午後にもお楽しみが待っています。この後は車を小一時間ほど走らせて、すさみ町へ向かいました!
(つづく)
備忘録
12月27日(水)
道の駅・たいじ7:50→道の駅・橋杭岩→9:10潮岬13:20→14:10道の駅・すさみ
本日の走行距離:牽引あり61km+牽引なし0km=61km
この旅での走行距離:牽引あり563km+牽引なし0km=563km