
北海道の旅、12日目。とうとうやって来ました!「本土最東端の地・納沙布岬」です。
これにて、家族5人揃っての「本土四極到達」が実現しました!そう、長男が生後2ヶ月の時に訪れた鹿児島県の佐多岬(本土最南端)からスタートして5年目。たったの5年で「家族5人揃って四極到達」ができたなんて、感無量です。まぁ、そんなふうに思っているのは家族の中でパパだけなんですけどねぇ。けれど、子ども達もいつかはその「偉業」に気づいてくれるでしょう。(ママは全く興味ないみたいですけど…)。
では、いざ最東端の地へ!
本土最東端の地・納沙布岬

根室市街を通り抜けると、「最果て」の雰囲気が漂い始めてきました。
いよいよ、納沙布岬です!

オーロラタワーが見えてきました。納沙布岬はその足元にあります。
ちなみにこのタワーは現在営業を休止しており、まるで廃墟のような姿になっていました。しかし、その歴史を調べてみると、興味深いエピソードがいくつも残されていて興味を惹かれました。
このタワー、もともとは北方領土返還運動の象徴として建てられたもので、高さ96メートルの展望台からは色丹島や国後島など北方領土を望むことができたそうです。そして、ウィキペディアによれば「地元の漁師の妻たちが展望台に上り、携帯無線機で沖合の夫にソビエト連邦側の警備艇の接近を知らせた」という逸話も。まさか、そんな使われ方をしていたとはね…。

納沙布岬に到着です!
駐車場は「北方領土資料館」のバス用レーンを使わせていただきました。夕方の時間だったこともあり、「今日はもうバスは来ないので留めて構いません」と快諾をいただけました。ありがとうございます。

北方領土返還運動のシンボルとして作られた、「四島のかけ橋」です。その形は4つの島を表しているとか。
余談ですが、溶接職人をしている友人がここを訪れた際、このモニュメントを見て「飽きただろうなあ〜」なんてコメントをブログに書いていたことを思い出しました。プロって、見るところが違いますね!

そして、ここが納沙布岬(ノサップ岬)。
ちなみに、ノシャップ岬は稚内にありますので、お間違いなく。ナビで入力を間違えたら、大変なことになりますよぉ〜♪(最東端ではなく、最北端の近くに行ってしまいす!)

約30年前の納沙布岬。
後ろの柵がくたびれています。今の柵はとてもきれいなので新調されたんですね。そして、モニュメントも写真で見比べると高さが違う気がする。よくみると文字も違うような。これも新調されたようですね。間違い探しをしているようで面白い。

長女6歳(年長) 次女4歳(年中) 長男0歳2ヶ月

長女8歳(小2) 次女6歳(小1) 長男1歳11ヶ月

長女10歳(小4) 次女9歳(小3) 長男4歳(年少)

長女11歳(小5) 次女9歳(小4) 長男4歳(年中)




感無量です!
ただ一つ残念だったことは、佐多岬で写真を撮っに長男が写っていないこと。長男はトレーラーで寝ていたので写真を撮らなかったんです。0歳2ヶ月の赤ちゃんを起こしてまで連れて行くのはどうかと悩んでしまって…しかし、今になって考えればちょっと頑張らせてもよかったのかなぁ。

さて、本当の最東端へ!

納沙布岬灯台に到着!
もちろん、本土最東端にある灯台です。「日出ずる国」の最東端。つまり、日本で一番最初に日の出が拝めるところです。調べてみると、2025年の納沙布岬で一番早い日の出は 6月13日の午前3時35分だったとのことでした。
そう、自転車で旅をしていた頃、テントの外が白みだしているので目を覚ましたら、まだ4時だったということを今でも覚えています。「時差」って遠くまで来たことを実感させてくれる一瞬でもありますよね。

灯台の中には入れなかったので、
「残念…」
と思っていたら、なんと灯台の裏に小屋があって中に入れました。

なんと、バードウォッチング用の小屋らしい。

あの先端が本当の「最東端」ということですね。
さすがにあそこまでは極められませんなぁ〜。

さて、「北方領土資料館」に戻り到達証明書を発行してもらいました。無料でもらます。
ちなみに、今年の冬に最西端の神鼻先(長崎県)を訪れた際にもこの証明書を手に入れてきましたが、最北端の宗谷岬(北海道)、最南端の佐多岬(鹿児島県)を訪れた際にはこの証明書の存在を知らずもらっていませんでした。証拠写真を送ると郵送で発行してもらうこともできるらしいので、帰ってから4枚揃えてみようかな。
北方領土資料館

さて、せっかく訪れたのだから「北方領土資料館」を見学します。

つくづくと、
北方領土のこと、何も知らないな…
と思いました。
確かに教科書では習いますが、キーワードとしては「北方領土は歯舞諸島、色丹島、択捉島、国後島の四島」「日露の境界線は、日露和親条約、樺太千島交換条約、ポーツマス条約、サンフランシスコ平和条約によって度々変更された」「1945年、日本がポツダム宣言受諾後にソ連が侵攻し不法に占領された」ということを覚えたくらいでしょうか。
戦前、そこに住んでいた日本人達はどのような生活をしていたのか、そこにはどんな風景が広がっているのか、なんてことは考える機会もありませんでした。なので、先程訪問した「旧奥行臼駅逓所」で案内人の方とお話をした時、「根室から野付半島経由で国後島へ向かう船が出ていた。」という話を聞いただけで、とても新鮮だったのでした。

解説によると、気候的には北海道の南部に等しく、釧路に比べると北方領土の方が温暖らしいです。そして、黒潮(暖流)が流れる太平洋側と親潮(寒流)が流れるオホーツク海側では気温も降水量も日照時間も随分と異なるのだとか。また、北海道と同じく太平洋側の夏は霧に包まれることが多いそうで、日が長い夏でも日照時間はとても短いんだとか。
そういえば、オホーツク流氷館で学んだことの中に、「国後島と択捉島がなかったら、流氷は存在しなかった。」とういう話がありました。自然が作り出すドラマって、本当に奥が深いです。だから面白いんだろうなぁ〜。

この島で暮らしていた人々の生活の様子についての話も興味深いものでした。産業としてはやはり漁業と食品加工が中心だったようですね。
そして、特に驚かされたのはソ連侵攻後の様子でした。北方領土がソ連に占領された後、日本人の住民はすぐに追い出された訳ではなかったそうです。完全撤退となるまでの約3年間は、島に残って生活を続けていた人々がいたのだとか。そしてその間、ソ連人との関係は「支配と従属」が基本でありながらも、一部には生活上の協力が見られたそうです。強奪や強制労働といった苦しい体験が数多く残されている一方、なかには「ソ連人と日本人の子ども同士が仲良くなり、そのつながりを通して親同士も交流を持つようになった。日本人の家族がソ連人の食事に招かれることもあった」という話も残されているのだとか。
戦争の歴史は本当に辛いものですが、その中にも敵味方の立場を超えて助け合う、人間らしさが伝わっているエピソードがあるんですね。なのに、なぜ戦争はなくならないのだろう…。




これらの島を日本人が再び訪れる日は果たして来るのでしょうか。
いつかその地に広がる景色を眺めてみたい。そんな想いを募らせたのでした。

やっぱり霧に包まれてしまいました。道東らしい風景です。
自転車で旅をしていた時もこんな日がたくさんあったなぁ。

では、出発。
進路を西に変え、根室市街地へ戻ります。

日本最東端の駅・根室駅に寄り道。
ちなみに、東へ向かって伸びる根室本線は末端が釣り針のような形をしており、その先端に根室駅があります。実は少し前まで、その釣り針のU字部分に「東根室駅」があって、そちらが「日本最東端の駅」でした。一面一線の無人駅でありながら、観光客が訪れる人気の駅だったと覚えています。しかし利用者の減少により、残念ながら廃止となりました。調べてみると、廃止日は2025年3月15日とのこと。ほんの半年前の話だったんですね。
東根室駅は、30年前に自転車で訪れた思い出の場所でもあります。こうして振り返ると、さまざまな場面で時の流れを感じさせられます。

今夜は「道の駅 スワン44ねむろ」を寝床にすることにしました。本当は霧多布岬まで行ってキャンプ場に泊まろうかと思っていたのだけど、「今からじゃ厳しいな」と思いまして。
今日は野付半島、旧奥行臼駅逓所、納沙布岬と盛りだくさんの一日でした。見るところ学ぶことがたくさんあり、さらには200㎞近くも走り、さすがに疲れました。
さて、明日はついに釧路に到着です!
備忘録
8月6日(水)
しべつ「海の公園」オートキャンプ場8:25→9:05野付半島ネイチャーセンター9:35→9:55野付半島先端10:05→旧奥行臼駅逓所12:45→14:10納沙布岬15:40→16:50道の駅スワン44ねむろ
この日の走行距離:牽引あり194km+牽引なし0km=194km
この旅での走行距離:1993km+牽引なし440km=2433km
