
標津から根室への移動途中、別海町の「旧奥行臼駅逓所」に立ち寄りました。
この名前を見た時、廃線になった鉄道の駅が保存されているものと思い込んでいました。鉄道好きの私としてはそれだけで興味がそそられるんです。しかし、それは勘違いでした。駅逓所とは、「北海道に鉄道が整備される前の明治から昭和初期の時代に交通の要として整備されていたもの」とのこと。
という訳で、「行ってみたら思っていたものと違かった!」という落ちなのですが、これまた丁寧な解説のもととても貴重な北海道の歴史を勉強することが出来た訪問となりました。
旧標津線・奥行臼駅

標津の町を出て、オホーツク海に沿って根室を目指します。
開放感のある眺め、トレーラーを牽いていても走りやすい道で、気持ちのいいドライブでした。

途中、別海町に寄り道をしました。

最初に訪問したのは、旧標津線の奥行臼駅。
そう、ここは正真正銘(!?)の旧鉄道駅です。

旧標津線が廃止されたのは1989年(平成元年)とのことですから、廃止から既に30年以上が経過していることになります。
それなのに、あまりにも綺麗に手入れが行き届いていて驚きました。

今にも列車が走ってきそうな雰囲気です。
後で知ったところによると、不定期でトロッコを走らせるイベントが開かれているとのことでした。

土砂が積まれているホームは倒れかかっていました。冬の間、中に染み込んだ水分が凍結して膨らみ、土砂が押し出されてしまうのでしょう。
これも後で知ったのですが、このホームは修理する予定らしいです。廃止されてしまっている鉄道駅にそんな手間をかけてくれるなんて、嬉しい話です。

こんなに綺麗な線路がどこまで続いているんだろう?と思ったら、

300m程先で伸びていました。ここまでが、トロッコ体験ができる区間なのかもしれませんね。
そして、線路が途切れているところは、

現在の「奥行臼バス停」になっています。
線路を塞ぐよう建てられているので、当然ながらこのバス停は標津線が廃止されてから建てられたものですね。

そして、バス停の向かい側、道路を渡った先はこんな感じに。
この森の切れ目の中に線路が延びていたのだろう、ということは想像できますが、すでに自然に帰ろうとしている雰囲気です。

案内板を読むと、この先の廃線路はハイキングコースとして整備するようです。
「整備を進めています」とのことなので、発展途上なのかな?

今の状態では歩くのは難しそうですが、この先が楽しみです。
残された財産を活用して、未来の財産にしようとしている取り組みが嬉しいですねぇ〜。
旧別海村営軌道風蓮線奥行臼停留所

さて、こちらは「旧別海村営軌道風蓮線奥行臼停留所」。旧標津線・奥行臼駅から道路を挟んで向かい側にあります。
「村営鉄道」って、聞いてビックリしましたが、その歴史とその展示にも驚きました。

当時の様子が図面で記されていました。
村営鉄道と国鉄標津線は奥行臼駅でつながっていたようです。村営鉄道で運んできた荷物はここから国鉄標津線に載せ替えて運び出していた訳ですね。
約100年前。汽車が運んできた荷物とお客でここが賑わっていた訳です。どんな世界だったんだろうなぁ。想像するだけで楽しいです。

『開拓地との物資の輸送を円滑に行い、また、開拓者の輸送を無料で行うことを目的として根室地方に次々と植民鉄道が施設された。』
つまり、「村営」であった理由はここにあり、北海道開拓と鉄道の関係はとても深かったということがわかります。

そして、ここの展示に脅かされたのは、車両があまりにも綺麗なんです。
一般的に屋外で保存されている鉄道車両は錆びでボロボロになっていることが多いんです。というのも、車両1両を塗装するのに100万円以上かかるという話を聞いたことがあります。そして、その塗装が5年毎くらいに必要なんだとか。つまり、鉄道車両の保存というのは想像する以上に難しい(お金がかかる)ことなんです。

それなのに、ここに並んでいる車両たちは現役で走っている車両のように(それ以上に!?)綺麗。
先程の旧奥行臼駅の保存状態といい、すごいです!

こちらの車両は、ミルクゴンドラ車。つまり、この鉄道が作られた目的は根釧台地で生産された牛乳を輸送するためだったそうです。
なるほど!「牛乳を運ぶために鉄道を敷く」なんてさすが北海道です。

そして、道路が整備されるようになり、物流が鉄道から自動車へと移行されていく中で、この村営鉄道も使命を終えたようです。
なかなか奥深い話ですねぇ。

昭和の時代までの北海道には全域に鉄道が張り巡らされていました。現代の鉄道好きが当時の路線図を見たら羨ましがるのは間違いありません。数字で見てみると、北海道内の鉄道営業距離が2024年現在で2255kmなのに対して、ピーク時の1964年は約4000kmだったというのですから、その差は明らかです。
鉄道好きとしては悲しい話でありますが、鉄道建設のその歴史を知ると、「これも致し方なしか…」と納得せざるを得ないのかもしれません。
旧奥行臼駅逓所

さて、旧奥行臼駅から歩いて1〜2分、「旧奥行臼駅逓所」にやってきました。
私が廃線駅と勘違いしていたところです。

係の方が丁寧に時間をかけて説明をしてくださいました。
そして、そのお話は私が全く知らなかった北海道の歴史であり、深く感銘を受けたのでした。

まず、駅逓所(えきていしょ)とは、明治時代に北海道で発達した交通・通信の拠点施設です。江戸時代に全国で整備された宿駅制度(宿場)は明治5年に廃止されました。そして、全国で鉄道網の整備が進められる中、北海道はその広大な地形と人口密度の低さから鉄道の整備が後回しにされていました。そうした状況下で、道内の交通を支えるために設けられたのが「駅逓所」なんだそうです。そう、駅逓所の建物が洋風の雰囲気になっているのも、「明治時代に作られた」というところによるものだそうです。
当時、北海道を訪れた旅人は駅逓所で馬を借りて次の駅逓所へ向かい、到着後に再び馬を借り直して移動をしていました。いわば、馬によるリレー式の交通システムです。ちなみに、客を降ろした馬はどうやって元の駅逓所に戻るのかというと、偶然その方面に向かう客がいればその客を乗せて帰り、客がいなければ馬だけで歩いて帰っていたそうです。 馬には帰省本能があるので、そんなことができたのだとか。

ちなみに、北海道内には600箇所以上の駅逓所が設けられたそうです。
そして、現在も保存されている駅逓所がいくつかあるなか、旧奥行臼駅逓所は北海道指定有形文化財にも指定されているとのこと。

解説を聞くと、資料を読むだけでは知ることができなかった話がたくさんありました。
例えば、このガラスにはまだらな模様が入っています。これは明治に作られたガラスなので、まだキレイなガラスを作る技術がなかったからなのだか。それが、後期になってから増築された部分に使われているガラスはとてもキレイなものになっています。比べて見てみるとその違いは明らかで面白いものでした。

説明をされてからよく見ると、建物の作りに違いがあることもわかります。丁寧な解説のおかげで興味深く理解を深めることができたのでした。
そうそう、駅逓所のことだけでなく他にも北海道の話をたくさん聞かせていただきました。「別海町は住民が1万4千人なのに対して、牛は12万頭。牛乳の生産量日本一。2位と3位の生産量を足しても別海町には敵わない。ちなみに、ハーゲンダッツのアイスは別海町の牛乳で作られている。」なんていう話もありました。
今回のブログでは、「後で知ったことなのですが…」という言葉が至るところで出てきていましたが、それらは全てこの駅逓所で係の方から伺った話しだったのでした。

そして、一通り見終わった後にもせっかくの機会なので色々と質問をして、貴重な話をたくさん聞かせていただきました。
「戦前の北海道と国後島との往来の様子はどのようなものだったのか?」「野付半島の付け根は標津町なのに、途中から先端部分は別海町に属しているのはなぜなのか?」などなど。この旅の途上で疑問に思っていたことを全部教えてもらいました。
いや〜、楽しかったです。なんだか、自分がすごく賢くなった気がしてしまいました(笑)。
ちなみに、この「旧奥行臼駅逓所」は見学も解説も全て無料です。そして、こんなにいいところなのに、私達が「旧標津線・奥行臼駅」「旧別海村営軌道風蓮線奥行臼停留所」「旧奥行臼駅逓所」を見学している間、観光客には誰一人とも会いませんでした。
なぜ?
観光客の皆さぁ〜ん!どこにいるんですかぁ〜?
さて、この後は本土最東端の地・納沙布岬を目指します!
(つづく)
備忘録
8月6日(水)
しべつ「海の公園」オートキャンプ場8:25→9:05野付半島ネイチャーセンター9:35→9:55野付半島先端10:05→旧奥行臼駅逓所12:45→14:10納沙布岬15:40→16:50道の駅スワン44ねむろ
この日の走行距離:牽引あり194km+牽引なし0km=194km
この旅での走行距離:1993km+牽引なし440km=2433km
