親ばかパパの子育て日記

キャンピングトレーラーを牽いて全力で遊ぶ!

2026.1 山陰の旅(11日目・前半)【鳥取県鳥取市→兵庫県丹波篠山市】 ~ 余部鉄橋・空の駅 余部クリスタルタワー ~

 山陰の旅11日目。県境を鳥取県から兵庫県へと超えます。

 さて、とうとう明日は神奈川へ帰る日です。最後にどこに寄って行こうかと考えましたが、完全にパパの趣味に付き合ってもらうことになりました。訪れた先は「余部鉄橋」と「植村直己冒険館」。“鉄道好き”と”旅好き”の私にとって、どちらもずっと前から訪れてみたいところだったんです。

 では、ラストスパート開始!

 

 

 余部鉄橋

 

 2泊を過ごした「RVパークTOTTORI」。オーナーさんとは到着時にトレーラー談義で盛り上がることができましたが、それ以降はお会いできず残念でした。まぁ、お正月休み期間だし、我が家も昨日は朝から夜まで出掛けていたので仕方ないことですけどね。んで、今日は管理棟にいらっしゃった社員さんにお礼を伝えて出発をしたら…数十メートル走ったところで対向車がスピードを落としてきました。なんと、オーナーさんでした。最後の挨拶だけでもできてよかった!

とっても快適なRVパークでした!ありがとうございましたぁ~♪

 やっぱり、旅は人との出会いですよね!

 

 山陰近畿自動車道で東へ!

 今日もどんより空。冬の山陰らしい空がどこまでも続いていました。雪は降るのかな?

 

 バイパスのICを降りると「道の駅あまるべ」はすぐそこです。

 目の前に新しい余部橋梁(今は鉄橋ではありません)が見えてきました。

 

 道の駅の大型車エリアは除雪されてなかったので、道路わきの空きスペースに停めさせてもらいました。

 

 こちらが、新しい余部橋梁と昔の余部鉄橋(の一部)。

 これだけ貴重なものなのだから、修理をしながら残せなかったものかとも思ってしまいましたが、

 

 確かに厳しかったんでしょうね。

 1912年(明治45年)に完成し、2010年(平成22年)までの98年間も使われたというのだから、十分過ぎるくらい頑張ってくれたと誉めてあげなければいけません。

 

 道の駅「あまるべ」の建物に資料展示コーナーがありました。

 こちらが、旧余部鉄橋の模型です。鉄橋を渡っている列車は「キハ181系特急まつかぜ」かな?調べてみると、「特急まつかぜ」には新大阪発博多行きなんていう便もあったそうです。大阪から日本海経由で九州へ1本で行ける特急があったの!?乗ってみたかったなぁ~。

 私のこれまでの経験としては、昼行特急としては日本一長い距離を走っていた「特急白鳥」に乗ったことがありました。大学時代の話です。あの時は自転車で1か月かけて北海道を旅した後に宮崎へいく用事があり、趣味を兼ねて鉄路で九州を目指したんです。「特急おおぞら」で釧路→札幌、「夜行急行はまなす」で札幌→青森、「特急白鳥」で青森→大阪、「寝台特急なは」で大阪→熊本へと夜行列車2泊を挟んで乗り継ぎ、熊本から宮崎までは再び自転車で走って移動したのでした。

 釧路駅のみどりの窓口で切符を買った時に駅員さんに驚かれたことを今でもよく覚えています。飛行機の倍以上のお金がかかることに躊躇しつつ、「こんな経験をできることはもう二度とないハズ」と、清水の舞台から飛び降りる覚悟(!?)でクレジットカードを差し出したのでした。

 今考えると、乗っておいてよかったと思います。今では、お金を積み重ねたってそんな贅沢な旅はできませんからね…だって、そんな列車はもう走っていないんですから。

 

 余部鉄橋建設の逸話には、知らなかったことばかりで感動させられました。なんと、鉄橋の鉄骨はアメリカ製らしいです。

 当時の日本の技術ではこれだけ巨大な橋を建設した実績がなく、設計は日本人がしたものの、その製造はアメリカに依頼したのだとか。そして、鉄橋は門司港へ船で輸入されたのち、再び船で余部沖へ運搬。現地で陸揚げされ組み立てられたそうです。

 ところで、「鉄骨の組み上げ」と聞いて私が思い浮かべたのは東京タワーでした。NHKの番組「プロジェクトX」の中でも私が特に好きだった特集が「東京タワー 恋人たちの戦い ~世界一のテレビ塔建設333mの難工事~」で、DVDまで買っていたんです。そして、そのDVDをつい最近、我が子ども達が車の中で見ていたので、余計にその難工事の様子が余部鉄橋に繋がったのでした。しかしね⋯東京タワーが建設されたのは1958年(昭和33年)。余部鉄橋が建設させたのは1912年(明治45年)。つまり、余部鉄橋は東京タワーよりも更に46年も前に建設されていたんです。いやはや…どちらもすごい話です。日本人の底力というか、勇気をもらえる話ですよね。

 

 こちらが、現在の余部橋梁。ちょうど普通列車がやって来ました。

 橋の高さは旧余部鉄橋と同じ41.5m。確かに高いです。すごい迫力。

 

 そして、旧余部鉄橋は現在、橋脚が3本だけ残されています。

 これには、東洋一を誇った旧橋の象徴として後世に残すためとして、地元住民の強い保存運動があったそうです。

 

 残されている部分はこんな感じ。

 

 それにして、すごい「スレスレ」に作ったもんですね。

 

 これですよ、これ!

 

 さて、旧余部鉄橋には「空の駅 余部クリスタルタワー」として展望施設が設けられており、登ることができます。

 

 エレベーターでレッツゴー!

 眼下の家々がみるみると小さくなっていく!41mはかなりの迫力です!

 ちなみに、一般的なマンションに例えると、41mという高さは14階くらいに相当するらしいです。

 

 こちらが、展望台。

 100年前の日本が持っていた技術の素晴らしさを感じると共に、現在の姿に少し切なくなってしまう光景でもあります。

 

 足元はこんな感じ。

 写真じゃ、この迫力は伝わりませんね…。

 

 ちなみに、この橋ができる前、すなわちここに鉄道が通る以前、この集落へのアクセスは山越え以外の交通路がなく、「陸の孤島」に近い状態だったとか。

 そして、鉄道が開通してからもしばらくの間はこの地区に駅が設けられなかったそうです。そのため、余部の住民は鉄道を使うために集落からこの鉄橋まで山を歩いて登り、列車の合間を狙って線路を歩いて、真っ暗なトンネルを通り抜け、隣町まで行っていたのだとか。後に「余部駅」が開設されたのは、鉄道開通から47年も後になってからだったとのことでした。

 

 その余部駅へはここから線路沿いに設けられた歩道を歩いて行くことができます。しかし、雪が解けてすごい水たまり状態!!長靴でないと歩けない程の水の量でした。という訳で、駅の訪問は断念することにしました。

 いやはや…「余部鉄橋」は単に「高い鉄橋」「美しい鉄橋」というイメージだけ持っていたのですが、そんなに深い歴史があったとは知りませんでした(もちろん、資料館には、このブログには書ききれない程のたくさんの歴史がもっともっと記されていました)。また訪れる機会があれば、ぜひ余部駅を訪れ、そして列車でこの橋を渡ってみたいな、と思いました。

 

 さて、この後は再び車を走らせ、豊岡市を目指します。

 目的地は「植村直己冒険館」。私にとって恩師のような存在である植村直己さんとのご対面です!

 

 備忘録

 1月5日(月)

 RVパークTOTTORI9:30→10:30道の駅あまるべ11:10→12:20植村直己冒険館15:00→16:10西紀SA

 この日の走行距離:牽引あり165km+牽引なし0km=165km

 この旅での走行距離:1460km+220km=1680km

 

 

 

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