
午後は富岡製糸場へ向かいました。
世界遺産として有名になった富岡製糸場は、教科書にも必ず登場する歴史遺産です。いつか子ども達に見せておきたいと思っていた場所でもありました。
そして、実は「昔の家」が大好きな我が家の子ども達は、これまでの旅行先で触れる機会があった蚕にとても興味を持っているんです。
そんなこともあり、「ここなら絶対に興味を持ってくれるはず」と期待しながらの訪問となりました。
富岡製糸場

午前中を過ごした「こんにゃくパーク」から「富岡製糸場」までの移動は車で10分程です。
ところで、富岡製糸場には駐車場がありません。「近隣のコインパーキングをご利用下さい」とのこと。そうなると困ってしまうのがトレーラーです。トレーラーを牽いて入れるコインパーキングなんてそうありません。
さて、何処に止められるか?事前に観光案内所に電話で確認してみると、「上町駐車場のバスレーンをご利用ください」と案内していただきました。グーグルマップの航空写真で確認してみると、確かにバス用のレーンがあります。しかし、心配性のパパは不安が尽きません…。なんたって、世界遺産です。三連休に駐車場の空きはあるだろうか?団体のバスがジャンジャンとやって来そうな気がしてしまいます。
と、不安になりながら訪れたのですが⋯拍子抜け。ガラガラどころか、バスなんか一台も止まっていませんでした。普通車も数台いるのみ。(富岡製糸場から少し歩くところなので、普通車の方はあえてここを選ばないのかもしれません⋯)

上町駐車場から富岡製糸場までは400m。「少し歩く」とはいえ、10分もかかりません。
さて、「こんにゃくパーク」で購入してきた入場券を提示して場内へ!

富岡製糸場は明治政府が殖産興業を推し進める中で建設された日本初の本格的な官営製糸工場。「日本で最初に工場制機械工業を導入した工場」という説明も歴史の教科書で覚えたような気がします。
さて、そんな富岡製糸場について、まずはシアターにて歴史や特徴を学びました。これ、子ども達にはもちろん、大人も助かります。映像で見られると、一気に理解が深まりますよねぇ~。

そして、場内を散策です。
富岡製糸場の建物の特徴の一つは「木骨レンガ造(もっこつれんがづくり)」。これは、木の骨組みにレンガを張り巡らせた日本独自のハイブリッド構造なんだとか。建物自体は木の骨組みで支えられ、レンガは壁としての役割をしているだけで屋根の重さを背負ってはいないそうです。地震が多い日本の地学的特徴や日本特有の湿度、材料調達のしやすさ、日本の職人が持つ木工技術などを融合した結果、このような建築方法が考案された訳ですね。
そんな話を聞くと、富岡製糸場が世界遺産に認定された理由も段々とわかってくるような気がしてきました。

子ども達が楽しみにしていた蚕。生きている姿で見ることができました。

こちらの蚕は生後(!?)4日目とのこと。
この一日一日の単位が重要なんでしょうね。

こちらは、富岡製糸場を支えた「ブリュナエンジン」のレプリカ。
蒸気の往復運動を回転運動に変換して工場全体に動力を伝えたのがこのエンジンで、日本初の本格的な蒸気動力です。そして驚いたことに、このレプリカは“動態展示”されていました。

このレプリカを制作するにあたって、設計図は一切残っていなかったそうです。そのため、現存するブリュナエンジンの外観や寸法を徹底的に計測し、富岡市内の38社が協力して約3〜4年をかけて復元したんだとか。
いやぁ、このエンジンの滑らかな動きには思わず「感動」を覚えました。どれだけ眺めていても飽きる気がしません。

さて、ここが富岡製糸場の最大の「見せ所」と言っていいところでしょうか。

蚕の繭から生糸を引き出すために使われた繰糸器(きしき)。
フランスから輸入されたこの機械を導入したことで手作業に比べて品質が格段に安定し、さらに蒸気機関による動力式の仕組みが採用されたことで大量生産にも対応できるようになったそうです。

この建物に入った瞬間、遠くまで続く繰糸器の大きさと長さに思わず目を奪われてしまいますが、もう一つ注目したいポイントがあります。
それが、この建物の屋根。

外観は日本の伝統的な瓦屋根なのに、内部は西洋建築の技術であるトラス構造。三角形を組み合わせたこのトラスによって、屋根を強固に支えながら柱の数を最小限に抑えることができ、繰糸器を長く並べるための広々とした大空間が実現したんだとか。
和と洋の技術が融合したこの屋根にも富岡製糸場の魅力がつまってたんですねえ~。

この先では手作業で蚕から糸をつむぐ作業の実演もあり見学することができました。
これまで資料を読んだり映像で見たことはあったけれど、実物を見たのは初めて。糸をつむぐあの滑らかな手さばきにはまたまた感動の連続だったのでした。

この建物は「首長館(ブリュナ館)」と呼ばれ、富岡製糸場の創業を指導したフランス人技術者ポール・ブリュナさんとその家族が住んでいました。
ところで、解説を読んでいると驚きのお話がありました。ブリュナさんの給料は年額9,600円だったそうですが、当時の総理大臣の年俸は約5,000円。つまり、総理大臣の2倍に近い金額だったそうです。日本政府がブリュナさんにこれほど高い給与を支払った理由としては、①明治初期の日本は近代化を急いでいて、欧米の先進技術を導入するために外国人技術者を高待遇で雇う必要があった。②製糸技術に精通したフランス人専門家は当時の日本にはほとんどおらず、ブリュナさんはまさにその第一人者として極めて貴重な存在だった。③異国での生活を支えるためには、住居や通訳、食事などを含めた手厚い生活保障が不可欠で、こうした待遇も給与に上乗せされていた。こうした複数の理由が重なり、ブリュナさんには特別な待遇が与えられたのだとか。
この話を聞いて、長崎で活躍したグラバーさんを思い出しました。ブリュナさんとグラバーさんは、同じような時代に同じような背景の中で活躍した人物なのだろうか?
AI先生の答えとしては、『時代は近いが、立場と役割はまったく違う』とのこと。
・グラバーさんは、幕末の混乱期に民間商人として自ら来日し、武器・造船・炭鉱などで日本の近代化を後押しした“商人”。
・ブリュナさんは、近代化プロジェクトを担うために明治政府に雇われた“技術者”。
どちらも日本の近代化に深く関わった点では共通しているものの、置かれていた立場も果たした役割も、まったく異なる流れの中にいた人物だったようです。
なるほど。こうやって学ぶと歴史って面白いですね。昨年末の九州旅行と今回の群馬旅行で学んだことが重なり、ちょこっとだけ賢くなれたような気がしました(笑)。

さて、このような歴史の中で築かれた富岡製糸場ですが、1987年に操業を停止し、現在は富岡市に管理されています。そして、一部の建物は “保存された歴史的建造物を活用した多目的スペース” として使われているそうな。この日は、画像奥の建物にて「上毛かるた世界大会」がおこなわれていて、観戦することができました。
そう、「こんにゃくパーク」でも拝見した「上毛かるた」です。群馬県民なら誰でも札を覚えているといわれている「上毛かるた」の世界大会。いやはや…すごい戦いでした。最初の一文字が読まれるか読まれないかの一瞬のタイミングで札が取られてしまうんです。いやぁ~、感動さえ覚えました。
本当は写真を撮りたかったんですが、とにかくすごい人・人・人だったんで撮影は遠慮しました。なので、ここに画像はありません…。

そんなこんなで、たくさんの学びがあった富岡製糸場でした。
教科書に絶対に出てくるかね!ちゃんと覚えておいてよぉ~♪
家族で上毛かるた大会

この後は「道の駅・みょうぎ」へ。
過去のブログを確認してみたら13年前にレグナムにてここで車中泊をしていたことがわかってビックリ。あの頃はまだ子どもがいませんでしたが、ウサギのあず君のが一緒だったんだよなぁ。ブログに記していたお陰で、かすかに残っていた記憶がよみがえってきました。

食後はトレーラーにてカルタ大会が開催されました!噂の「上毛かるた」です!
富岡製糸場の世界大会の会場には、上毛かるたを紹介するコーナーがあって、そこで色々とお話を聞かせていただきました。対応してくださったのは、なんと「上毛かるたの研究者」の方(!?)。歴史から遊び方まで、とても詳しいお話を聞くことができました。
そして、質問を交えながら上毛かるたについて教えていただいていたところ、思いがけない出来事がありました。なんと、上毛かるたをプレゼントしてくださったんです。「遠くから来てくださって、興味を持っていただけたので……」と。実は買って帰ろうかどうか迷っていたところだったので、本当に驚きのサプライズでした。
そのおかげで、この日の夜は家族5人で上毛かるた大会を開催しました!何しろ本物の世界大会を観た直後だったので、想像以上に盛り上がりました。特に長女と次女の札の読み上げは、なかなかの腕前(!?)。思い出に残るお土産になりました。ありがとうございました!
さて、明日も少しだけ移動し、次は「碓氷峠鉄道文化」を訪問します。パパの一番のお楽しみです!
備忘録
10月10日(金)
自宅21:25→0:20道の駅・甘楽
この日の走行距離:牽引あり162km+牽引なし0km=162km
10月11日(土)
道の駅・甘楽8:20→8:30こんにゃくパーク11:30→11:50富岡製糸場15:30→16:05道の駅・みょうぎ
この日の走行距離:牽引あり25km+牽引なし0km=25km
この旅での走行距離:牽引あり187km+牽引なし0km=187km