今日の午前中は島原観光をする予定。雲仙普賢岳噴火による災害について学びたいと思います。天草では戦国時代から江戸時代における隠れキリシタンの歴史について学んできましたが、ここでは平成での災害の話です。私も小学生の頃にニュースで目にした記憶があります。
富士山の東側で暮らす住む我が家としても、噴火に対する心構えは地震と同じくらい必要なことは理解しています。しかし、まだその被害を直接は経験したことがないのでいまいち実感が湧きません。そこで、「明日は我が身」と思って今日は噴火による災害について学ぶ一日としたのでした。
RVパーク島原城


「RVパーク島原城」で迎えた朝。
やっぱり、すごい眺めだ。
西へ西へと移動してきているので陽が昇る時間はどんどん遅くなっているのですが、体内時計はやっぱり時計の針と同じように動いているようです。
外が薄明るくなってきた頃には朝食が始まっていました。
朝からガッツリといただきます!
今日も一日、満喫するぞっ!
では、出発!
これはなかなか貴重な写真では!? デリカとトレーラーとお城。まだ観光客が動き出していない時間だったので、こんな写真を撮ることができました。
がまだすドーム(雲仙岳災害記念館)
島原城から「がまだすドーム」までは車で15分程。
駐車場は全く問題無しでした。
背後にそびえるのが雲仙普賢岳です。
あそこからこの辺りまで土石流が流れて来たんだもんなぁ…火山というものは、いったいどれだけのパワーを秘めているのでしょうか。
早速、展示場へ向かいます。
入館するなり「ちょうど映像が始まったところなので、どうぞ。先に見ておくと、展示の内容が分かりやすくなります。」とご丁寧な案内をいただいので、まずはシアターへ。
分かりやすい映像で雲仙普賢岳の成り立ちやこれまでの歴史について学び、「下準備」を済ませることが出来ました。
そして、展示場へ。
生々しい展示の数々。
どれもこれも、実際の被災地から回収された物品です。
何が出来るのかと思ったら、実際に被災地で活躍していたジープに乗って、被災現場の様子を観られるものでした。
平成に入ってからの出来事だったということもあり、画像のみでなく映像がたくさん残っているんですね。
こちらは火砕流の速さを体験できるもの。その速度は時速200km以上もあったそうです。秒速にすると55m/s以上ということになり、とても人間が逃げられるスピードではありません。
そして、実際の現場ではこれに加えて木々や建物がなぎ倒される爆音、爆風、振動、そして逃げ惑う人々の叫び声なども一緒に混ざり合わさっていたのでしょう。
シーソー?いやいや…こちらは土石流の重さを体感できるというもの。
土石流は水のほぼ倍の重さがあるそうです。よって、水だけの場合と比べて土石流の方がより大きな被害を発生させてしまうのだとか。
ちなみに雲仙岳とは、島原半島の主な部分にそびえる活火山で、普賢岳、国見岳、妙見岳、九千部岳、野岳、眉岳などの溶岩ドームからなる複合火山。1990年(平成2年)の噴火は198年ぶりの噴火だったそうです。
198年前と言えば江戸時代。その時の噴火の様子は文字による記録でもきちんと残されているそうです。
人々が生活を営んでいる地域のこれだけ側で、噴火が起きていたんですね…。
我が家が昨夜を過ごした島原城。
その距離は目と鼻の先です。
こちらのコーナーに子ども達は大ハマリでした。
水無川上流で行われた砂防工事の無人化施工技術を模擬体験できるコーナー。
火砕流や土石流から町を守るための砂防堰堤(土砂をためるダム)を作る際、巨大ダンプカーやショベルカー、ブルトーザーなどは遠隔操作によって動かされたのだとか。
無人の重機を使った堰堤工事は世界で初めて雲仙で行われたそうです。
これが無人重機を操作するコントローラー。モニターに映し出された映像を見ながら、このコントーローラーで重機を動かす訳ですね。
重機の遠隔操作については、以前に何かの記事で読んだこともありました。オフィス内にある「操縦席」にて操作をするので冷暖房完備だし砂埃などもないから職場環境は快適で、女性オペレーターも多いのだとか。
時代は変わっていきますねぇ〜。
そうそう、長男が今年の七夕飾りで短冊に書いた願い事は
ショベルカーにのりたい!
でした。そして偶然のタイミングだったのですが、その1ヶ月後にトレーラー入れ替えのため駐車場の外構工事があり、我が家にショベルカーがやって来ました。もちろん本物ですよ。そして、その長男の「夢」を職人さんに話をしたら乗せてくれたんです。しかも、タイミングよく彼の誕生日に。長男はそのことを今でも覚えていて、
大きくなったら工事の人になる!
と言っています。子どもの頃の経験って大事ですね。
クイズ形式にて火山についてお勉強。
長男は「上級」に挑戦し、3問連続で正解して大喜びしていました。すごいね!ひらがなだって、まだ読めないのにね(笑)。
こちらが、平成の雲仙普賢岳噴火の話の中で語り継がれているテレビカメラです。避難指示に従わず撮影を続けたマスコミが火砕流に巻き込まれ、警察、消防団、タクシー運転手なども犠牲になってしまったという…。
現場で見つかったこのカメラに残されていた映像は、かなりダメージを受けていたものの、その緊迫とした空気を生々しく伝えていました。
今日の雲仙岳です。
近いといえど、これだけの距離があるというのに…。
そして、雲仙岳の土石流が有明海に到達した際には津波を発生させ、対岸の熊本にも被害を出したそうです。
つまり、熊本の人々にとっても長崎・雲仙岳の噴火は「対岸の火事」ではなかった訳です…。
18.3mの印は東日本大震災の時に発生した津波の最大の高さ。
当時、「想定外」という言葉が流行りましたが、確かにね…どう考えたって想定しませんよね…あの海がこの高さまで襲ってくるなんて。
火山の噴火は普段の生活の中にそれ程の危機意識を持たせていないように思えます。神奈川に住む我が家の周辺では、今でこそ東日本大震災の教訓から学んで津波を想定した避難訓練が行われるようになりましたが、富士山の噴火を想定した訓練というものはほとんど聞きません。
その理由はおそらく、噴火の周期は数百年もあるので平穏な間にその恐ろしさが忘れられてしまうのでしょう。富士山の最後の大規模噴火である宝永大噴火からはすでに300年以上が過ぎていますから。しかし、日本各地をみれば、こうして直近の間にも被害が起きている訳です。学ばなければいけませんね。
道の駅・ひまわり(土石流被害家屋保存公園)
さて、「がまだすドーム」から車を10分ほど走らせ、「道の駅・ひまわりに」やってきました。
ここには、土石流被害家屋保存公園が併設されています。
被害家屋は屋根を被せられ、当時の姿で保存されていました。
※一部の家屋は保存のためにここへ移設されたものだそうです。




ひとたまりもないですね…こんなのに襲われたら。
もし、我が家がこんなことになってしまったら…その後、家族はどうやって暮らしていけばいいのでしょう。想像もできないけれど、考えておかなければいけない訳ですね。
目を疑ってしまう写真です。
町のすぐ隣でこんなことが起きるとは…。
今回の九州の旅では、毎日毎日、大切なことを学んでいます。
子どもの記憶にどれくらい残るか心配もありますが、一度は忘れてしまっても、またいつかどこかで思い出してくれることがあればいいな。
そんなこんなで、島原で学んだ一日でした。
(つづく)
備忘録
12月29日(日)
RVパーク島原城8:50→9:05がまだすドーム12:15→12:25道の駅ひまわり12:45→島原港駅→(島原鉄道)→愛野駅→14:30KARACO CAMP VILLAGE
この日の走行距離:牽引あり53km+牽引なし0km=53km
この旅での走行距離:牽引あり1471km+牽引なし124km=1595km