高千穂には2泊して、なか日は高千穂峡などを観光する予定でした。しかし、今日は降水確率100%とのこと。昨夜から降り始めた雨は朝になっても景気よく降り続いています。残念だけど、まぁ、これまでずっと天気には恵まれてきましたからね。たまには仕方ないかな…。
『九州の旅』が始まって1週間が過ぎました。少し、疲れが溜まってきたと言えなくもありません。そんなこんなで、今日は『休息の一日』ということでのんびりと過ごすことにしたのでした。
雨の一日
朝も二度寝してゆっくりと過ごし、そしていつもより遅めの朝ごはんです。
昨夜のうちに次女が握っておいてくれたオニギリをみんなで頬張りました。
結構、激しい雨になってきたのでトレーラーの中でまったりです。
旅が始まって1週間。毎日のように新しいことを体験してきた娘達は記憶が曖昧になってきたようです。なので、ここで写真を見ながら『振り返り』をすることにしました。
正直、パパとしても海底トンネルで関門海峡の下と潜ったことなんか、遠い昔のように感じます。
本当にたくさんの思い出が詰まった1週間だったな。
そして何より、この子が体調を崩すことなく、毎日元気に旅を楽しんでくれている(たぶん…)のが嬉しい話です。
記憶には何一つ残らないでしょうけど、大きくなってからこのブログを見て、何かを感じてくれたら嬉しいものです。
あの時は大変だったよ…。
なんて、言わないでね!
時間はたっぷりとあるので…贅沢に10時のおやつ。
あったかい“お汁粉”、いただきますっ!
午前中は大雨の中、買い出しにだけ出掛けました。
滞在している「RVパーク高千穂」は高千穂町の中心部にあるので、スーパーへは車で3分程です。
宮崎名物の“チキン南蛮”、買ってきましたよぉ~♪
これは、何度食べても美味い!
そして午後、「高千穂の湯」へ出掛けました。これまた温泉まではRVパークから歩いても3分程です。(大雨だったので、車で行きましたが…)
ここ感じたことがありました。
RVパークもそうだったのですが、高千穂町はコロナ対策がとても厳しいです。RVパークでも温泉でも全員が検温を受け、住所から電話番号まで記帳する必要がありました。まぁ、観光客の多い町だから、仕方ないことですね…。
しかしね…高千穂の方々は本当に温かいんです。「よそ者は来るな!」なんて雰囲気はどこにもないです。「そりゃ、観光客に来てもらわなきゃ経済が回らないからね。」という意見もあるかもしれませんが、そういう雰囲気でもありません。RVパークや温泉のスタッフも、そして温泉の中で話しかけてくれるお客さんも、「どっから来たんね?」と親しみを持って話しかけてくれたんです。そして、我が家の赤ちゃんを見て、「よう肥えてる子だ」と誉めてくれました。最初は「肥えてる???」って、ビックリしましたが、「太っている」という意味で、誉め言葉のようです。(笑)
そうやって、地元の方々との交流を持つこともでき、「やっぱり高千穂って、いいところだなぁ~。」なんて、昔の思い出を懐かしんだのでした。
コロナの関係でか、平日だからか…?温泉はガラガラでした。
温泉を出た後も子ども達は休憩室でまったり。出掛けることができない一日だから、時間に追われることなくゆったりとした時間を過ごすことができたのでした。
懐かしの再会 ~ 高千穂YH ~
私にとって、高千穂町は故郷のようなところです。
というのは…高校2年~大学卒業までの6年間、私は年に何回もここに「通って」いました。カレンダー上に3連休があれば必ず高千穂に来ていたし、GWと夏休みは長期滞在していたから、大学時代なんかは年間60日くらい高千穂にいました。
20歳まではスカイメイト(予約ができない代わりに、当日空席があれば半額で飛行機に乗れる制度)が使えたので、通勤電車に乗るような感覚で飛行機に乗って高千穂に行っていました。高校時代は、学校帰りに制服のまま羽田から飛行機に乗ったこともありましたよ。そんなこんなで、高校時代のバイト代はほとんどをJALにつぎ込んでいました(笑)。
スカイメイトが使えなくなってからは、頭金1万円でローンを組んでバイク「YAMAHA・ドラックスタークラシック400」を購入し、何度も高千穂を往復しました。横浜→(した道)→大阪→(フェリー)→新門司→(した道)→高千穂というルートを使うと、ちょうど1万円で横浜から高千穂まで来ることができたんです。そう、納車翌日には高千穂を目指して走ったんだよな。懐かしい思い出です。
んで、「そんなに通って、何をしていたのよ?」って話ですが、YH(ユースホステル)でヘルパーをしていました。YHとは、相部屋になるけど割安に泊まれる宿のこと。今では、「バックパッカー宿」とか「ゲストハウス」なんて呼ばれる宿が増えていますが、それと同じような雰囲気の宿と言えばわかるでしょうか。そして、YHに住み込んで働く人を「ヘルパー」と呼んでいました。「働く」といっても、賃金はあったりなかったりで色々あるようですが、私の場合は基本的にタダ働きで、その代わり毎日腹いっぱい食べさせてもらっていました。
そして、「なぜ、高千穂でヘルパーになったの?」と言いいますと、高校2年の春休みに自転車で鹿児島から横浜の自宅まで走る計画で九州に来たものの、たまたま泊まったこのYHの雰囲気が気に入ってしまい、そのまま…となってしまった訳です。
YHには毎日、旅人がやって来ます。そして、夜は宿泊者がみんなでテーブルを囲って、飲み物を傾けながら旅の話に花を咲かせます。
当時、高校生~大学生だった私にとって、年齢も職業も住む地域も異なる人との出会いはまさに刺激的で、学校だけでは学べない様々な価値観を教えてもらったのでした。
ホステラー(YHのお客)さんが乗った汽車がYHの目の前にある鉄橋を渡る時は、「いっていらっしゃ~い!」と手を振って見送りました。そして、ホステラーさんも窓を全開にして「いってきまぁ~す!」と手を振り返し、そして、運転士さんは汽笛を鳴らしてくれるんです。
そんな風に出会いと別れが毎日のように繰り返されるYHでのヘルパー生活は、自転車を漕ぐ旅とはまた違った角度から楽しめる「旅」でもあったのでした。
※高千穂鉄道は2005年 7月の台風で膨大な被害を受け、廃線となってしまいました。
しかしながら…大学を卒業し、仕事をするようになり、結婚をし、子どもができ…と生活のスタイルが変わっていくと、九州はとても遠いところになってしまいました。昔はあれほど気軽に飛行機に乗って通っていたというのにね。あれだけお世話になったYHにも、もう長いことご無沙汰してしまっていました。
そんなこんなで、今回の『九州の旅』では、「懐かしの高千穂」を訪問するのも大きな楽しみでした。しかしね、コロナですよ…。悩みに悩んだのですが、『九州の旅(1日目)』にも記したように、今回は「知人には会わない旅」にすることにしたため、高千穂でもキャンプ場に滞在して観光を楽しむのみにしていたのでした。
けれど、まさかこんな偶然があるとは!
高千穂滞在2日目の今日、スーパーで買い物をしていた時の話です。「あれっ?お母さん?(YHのオーナー)」。声を掛けたら、向こうも3秒くらい悩んでからわかってくれました。いやぁ~、 高千穂町がいくら小さな町だとはいえ、人口は1万人程います。なので、“スーパーで偶然に再会”なんて、すごい確率です。
そして、「来るのになんで連絡をしてこないの!!」と怒られ、この日はトレーラーをRVパークに置いたままYHに移動することになったのでした。
子ども達は、スーパーで立ち話をした人の家に急に泊まることになって、「???」って感じだったようですけどね(笑)。けれど、「パパは高校生の時に自転車で九州を旅行して、あのおばちゃの家に泊まったことがあるんだよ。」と話したら、少し理解してもらえたようでした。
私がYHでヘルパーをしていたのは、もう20年も前の話です。久しぶりにYHに上がらせてもらうと、数々の思い出が溢れ出し、家族でここを訪れることができたことに幸せを感じたのでした。
<備忘録>
10月22日(木)
RVパーク高千穂→買い出し→RVパーク→高千穂温泉→RVパーク→高千穂YH
本日の走行距離:牽引あり0km+牽引なし7km=7km
この旅での走行距離:牽引あり1294km+牽引なし68km=1362km